第1回 香椎宮
探訪者:丸山砂和、片山恭一
文:片山恭一
そして二人は出会った
いち:こんにちは、さわさん。
さわ:こんにちは、いちさん。
いち:お久しぶりです。
さわ:このあいだ会ったばかりじゃないですか。
いち:えっ、そうだっけ?
さわ:中洲で一緒に飲んだでしょう。
いち:あっ、そうか。あれいつごろだった?
さわ:まだ半月にもならないですよ。
いち:いや~、まったく光陰矢のごとしだなあ。
さわ:なんか言葉の使い方、間違ってる気がするけど。
いち:この企画、本当は海外でやりたかったんだよね。ぼくは数年前にクルーズで立ち寄ったリスボンがすっかり気に入ってしまって、今度ゆっくり行きたいという話をしていたら、海外に詳しいさわさんが「じゃあ案内しましょうか」って。すっかりその気になって楽しみにしていたらコロナの季節がやって来た。コロナがなければ二人でスペイン、ポルトガルあたりをまわって、「さわといちの南蛮往来」みたいなものになるはずだったんだけど、しょうがないからぐっとスケールダウンして「町歩き」になりました。
さわ:でも、これはこれで楽しそうですよ。
いち:うん、楽しい読み物にしましょう。ぼくは福岡という土地の歴史に興味があって、そのわりには何も知らないので、この機会にちょっと勉強してみようと思っています。それで自分が担当する回は「歴史探訪」ってことにしました。一回目は香椎宮です。ぼくの家からは西鉄電車を使って30分くらい。だからよく散歩に来たりして地理には明るいんですが、お宮の謂れなどはあまり知りません。今日は二人で探訪してみたいと思います。
さわ:よろしくお願いします。
いち:その前にお昼ご飯を食べましょうか。参道においしい中華料理屋さんがあるので入ってみよう……と思ったけれど、お店の前に人が並んでますね。
さわ:人気なんですね。
いち:待つのは嫌だから向かいのさかな家さんにしましょう。刺身定食980円、安い!
弁財天に出迎えられる
いち:おお、池があってカメがいる。鯉も泳いでいる。
さわ:この大きな木は楠ですかね。たしかご神木がありませんでした?
いち:綾杉っていうんですよ。拝殿の前に植わっています。毎年秋にはそこで子どもたちの剣道大会が開かれていました。神前試合っていうんですけどね。子どもたちの元気な姿を神様に見てもらおうってことなんでしょうね。ここ数年はコロナのために中止、今年も開かれないようです。
さわ:なんか寂しいですね。
いち:おや? 弁財天がある。
さわ:弁財天ってなんの神様でしたっけ?
いち:一般には金銭運の神様としてご利益があるって言われますね。だから商売人なんかが熱心にお参りする。ちなみに弁天様は女性の神様です。
さわ:いちさん、詳しいんですね。
いち:っていうか、さわさんあまり知らないんだね、そっち方面のことは。
さわ:そうなんですよ。神社にお参りしておみくじ引いたりするのは好きなんですけど。
いち:七福神は知ってるでしょう?
さわ:名前は聞いたことがあります。
いち:寿老人、大黒天、福禄寿(ふくろくじゅ)、恵比寿、弁財天、毘沙門天、布袋。このマグニフィセント・セブンが七福神。
さわ:もの知り!
いち:そんなことでいちいち驚いちゃいけません。七福神というのは人間の七福、つまり七つの幸福に対応していて、寿命、有福、人望、清廉、愛敬、威光、大量となっています。
さわ:大量って?
いち:よくわからない。でも布袋さんって大きな袋をもって大きなおなかをしているから、なんでもたっぷりあってにこにこ笑っているってことじゃないかな。
さわ:弁財天の愛敬は?
いち:あまり深く追及してはいけません。だいたい七福神っていうのは人選からしてかなりあやしげで、日本土着の神様は恵比寿だけなんです。
さわ:じゃあ、他の神様は?
いち:ちょっと待って、スマホで調べてみる……ええと、大黒と毘沙門と弁財天はインド。福禄寿と寿老人は中国、布袋にいたっては実在の和尚っていうんだから、完全なチャイニーズだね。
さわ:なんだか香椎宮は入り口からして奥が深そうですね。
巫女募集の本殿へ
いち:ほら、綾杉があるでしょ。
さわ:本当だ。「神功皇后さまが『とこしへに本朝(みくに)を鎮め護るべし』と祈りをこめてお植えになった杉で、紀元860年(西暦200)のことであります」だって。1800年以上も前だ。
いち:香椎宮のほうも読んでみようか。「祭神は仲哀(ちゅうあい)天皇、神功皇后、応神天皇、住吉大神。3世紀ごろ、仲哀天皇は国の内外を平定されるため、神功皇后とともにこの地に橿日宮(かしひのみや)を営まれました。当宮は、この地で没した仲哀天皇の霊を、神功皇后が祭られたのが起源とされており、古くは『香椎廟』と称され、朝廷の人々の崇敬を受けてきました。」なるほど、もともとは霊廟だったんだ。
さわ:霊廟って?
いち:死者の霊を祀る宗教建築物のことだね。わかりやすいのは太宰府天満宮。あれも菅原道真の霊を祀ってある。
さわ:祟(たたり)りを鎮めるためだったとか。
いち:あるいは死者の生前の功績を讃えるとか。スターリン廟などが典型的だよね。この縁起を読むと、香椎宮の場合もそっちのニュアンスが強いみたい。仲哀天皇、神功皇后、応神天皇は『古事記』にも出てくる。ぼくはしばらく前まで地元の大学でインチキな文学の講義をしていて、何度か『古事記』について話したことがあるんです。そのときちょっと勉強したので、ここで蘊蓄(うんちく)を傾けてもいいですか?
さわ:お願いします。
いち:まず仲哀天皇は第14代天皇で父親は有名な倭建命(やまとたけるのみこと)。
さわ:誰でしたっけ?
いち:『日本書紀』では日本武尊と表記されることが多い。ぼくは『日本書紀』のほうは読んでないんだけど、『古事記』では西に東に遠征しては数々の武勲を立てるも、父親である景行天皇に疎まれる悲劇的な主人公として描かれる。ちょっと源義経なんかを想わせるところがあるな。ぼくらの世代は絵本やマンガでヤマトタケルのことはなんとなく知っているんだけど、さわさんたちになるとどうかな?
さわ:世代はそんなに変わらないけど、わたしたちは『りぼん』や『なかよし』でしたから。
いち:『りぼん』や『なかよし』にヤマトタケルは出てこないか。まあ、それはともかく。倭建命の子が香椎宮に祀られている仲哀天皇ってことになります。
さわ:へえ~、そうなんだ。
いち:倭建命を知らない人から「そうなんだ」と言われてもどう反応していいかわからないけど。応神天皇は仲哀天皇と神功皇后の子で第15代天皇。もっともこのあたりは、まだ神話伝承の時代ですからね。考古学的に実在がほぼ確定しているのは第21代雄略天皇(418~479)あたりからで、ずっと時代が下ります。さっきの綾杉の説明にもあったように、神功皇后が杉をお手植えされたのが西暦200年ごろっていうんだから、日本は完全に無文字社会ですよね。そういう古い時代を背景にもつお宮ってことになります。ところでほら、「正月巫女臨時募集」ですって。
さわ:本当だ。「16歳(高校生)以上の未婚女性」となってる。
いち:さわさん応募してみたら?
さわ:うん、いいかも。
いち:この「禁止事項」っていうのが面白いね。「奉仕中のネイル、ピアスアクセサリー等、つけまつげ、カラーコンタクト、厚化粧、香水、携帯電話使用、飲食禁煙は厳禁。髪の毛は黒髪に限ります(奉仕中は茶髪や脱色、黒スプレー禁止)」
さわ:全部OKです!
いち:その気になってる。
コラム:『古事記』と『日本書紀』
ここで『古事記』について簡単にお話ししておきましょう。まず成立は712年。神功皇后が綾杉を植えたのが200年ごろですから、『古事記』編纂に先立つこと500年も前の故事ということになります。だから内容も史実というよりは伝承のニュアンスが強い。
上中下の三巻構成で、上巻は完全に神話です。神々を主人公とする話で、それが天皇による天下統治の正当性を説く建国神話になっていきます。中巻は神武天皇(初代)から応神天皇(15代)までの年代記で、ヤマトタケルの話もこのなかに出てきます。下巻は仁徳天皇(16代)から推古天皇(33代)までの記録です。
このように『古事記』は皇室の祖先を神格化した部分(上巻)と、歴代の天皇の系統と姿勢の内容を叙述した部分(中・下巻)からなるわけですが、文学的作品としてまとまりがあり、読んで面白いのはやっぱり上巻、神々と伝説的な王の時代だと思います。
そこで上巻の内容をちょっと見ておきましょう。まず天地開闢(天地創成)でアマノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒの三神が天上にあらわれます。つづいて天上に多くの神が生じますが、そのなかの男女神(イザナキ、イザナミ)による国生みによって日本列島(大八島国)が誕生します。さらにアマテラス(太陽)、ツクヨミ(月)、スサノオ(嵐?)など有名な神々が生まれきます。これらは天地自然の祖としての神々ということになります。
スサソオの乱暴が原因で、アマテラスがアメノイワアトに籠る「天の岩戸」、スサノオによる八岐の大蛇退治、オオクニヌシと因幡の白兎の話など、ぼくたちが日本神話として知っている多くのエピソードが、『古事記』の上巻に出てきます。神話というのは、それぞれの国や民族の成り立ちを説く話です。古代の日本人は、自分たちの出自(しゅつじ)をこんなふうに理解していたんだな、ということがわかって、なかなか興味深いですよ。
『古事記』と『日本書紀』の関係についても少し触れておきましょうか。成立年代は『古事記』が和銅5年(712)で『日本書紀』が養老4年(720)、ほぼ同時期です。最初に天地開闢(てんちかいびゃく)と神々の登場が語られるのも『記紀』に共通しています。『古事記』では上巻、『書紀』では一、二巻(神代記)がこれにあたります。ところが全体の分量は『古事記』の三巻にたいし『書紀』は三十巻と、圧倒的に『書記』のほうが長い。
これは『日本書記』という書物の性格によるものだと考えられます。『書紀』は正史、つまり国が編纂した正式な歴史書なんです。そのため漢文で、形式もきちんとしている。明らかに中国との朝貢冊封(ちょうこうさくほう)関係を意識しているのだと思います。また6世紀以降は朝鮮の王国との交渉も盛んになります。こうした外交的見地からも、日本という国が神の末裔としての天皇によって統治された文化的な国家であることを、内外に宣明する必要があったんでしょうね。神代記が世襲の王権の正当性を歴史的に説明することに重きを置いていたり、天皇や皇室の系譜をまとめた帝紀部分の記述が詳細であったりするのは、このためと思われます。
『書記』は欽定の歴史書として、長い時代に渡って広く受容されてきました。とくに中世にはもっぱら『書紀』が尊重されました。一方の『古事記』はずっと『書紀』の陰に隠れた存在でした。現在のように『記紀』と並び称されることになったのは、やはり本居宣長が著した『古事記伝』四十四巻に拠るところが大きいんじゃないかな。
気になる武内神社
いち:本殿の脇に来ています。ここにひっそりと建つ武内神社のことが、ぼくは前から気になっていたんです。御祭神が大臣武内宿禰(たけうちのすくね)命となっているでしょう。この人も『古事記』に出てきます。かなり有名な人みたいです。
さわ:「宿禰(すくね)」って、どういう意味ですか?
いち:大和朝廷で使われていた尊称ですね。「命(尊)」は神の尊称だから、勇猛な武将が神になったわけですね。
さわ:なるほど。
いち:ちょっと由緒を読んでみましょう。「仲哀天皇・神功皇后に仕えた五大臣の筆頭で、天皇・皇后の信任厚く知略に優れ、三韓親征(さんかんしんせい)の際は神功皇后をよく補佐し、新しい大陸文化を取り入れて日本の国の繁栄の礎を築きました。五代天皇(景行天皇・成務天皇・仲哀天皇・応神天皇・仁徳天皇)に仕えた長寿でも知られます。蘇我氏・紀氏・葛城氏など有力豪族の始祖として……」以下省略。
さわ:なんかすごい人ですね。
いち:人じゃないかもしれないけどね。まず「長寿でも知られ」ってところですが、伝説では300歳まで生きたことになっている。
さわ:300歳! iPSもクローンもない時代に。
いち:あとで不老水ってところ訪れますが、この不老長寿の水は武内宿禰に所縁(ゆえん)があるんです。
さわ:もったいぶらずに教えてくださいよ。
いち:まあ、あとのお楽しみってことで。それよりもぼくは「有力豪族の始祖」というのが気になるな。蘇我氏は聖徳太子とともに物部氏を倒して仏教中心の文化を築いた蘇我馬子で有名な豪族ですよね。紀氏からは後に『古今和歌集』の仮名序や『土佐日記』を書いた紀貫之(きのつらゆき)が出ます。葛城氏は蘇我氏や物部氏よりもっと前の時代に、やはり大和平野を支配していた豪族です。こうした上代から中世にかけて名門氏族たちの始祖とされている武内宿禰って何者? ぼくはちょっと『三国志』の項羽を思い浮かべました。中国の歴史上もっとも勇猛といわれる武将で、やっぱり神として祀られました。
さわ:わたしは「三韓親征」っていうのが気になります。
いち:うん、ぼくもこの言葉ははじめて聞いた。普通は「三韓征伐」っていうんじゃないかな。
さわ:征伐って、なんか上から目線。
いち:歴史書なんていうのは書いたやつの勝ちだからね。大和朝廷からすれば外敵を制圧したと言いたかったんでしょう。「三韓」は当時、朝鮮半島にあった新羅、百済、高句麗のことだと思います。たしかに『古事記』には神功皇后が新羅に兵を出したという記述があるんですが、実際に出兵したのかどうかはっきりしないし、まして朝鮮半島を服属させたってことは史実としてあり得ませんよね。さすがに韓国からのインバウンドも多い昨今、「征伐」はまずいっていうんで「親征」なんでしょう。
さわ:意味が違うんですか。
いち:「親征」は「みずから征(い)く」ってことで、「出兵」というニュートラルな意味になります。
古宮へ
さわ:香椎宮を裏口から出ると、すぐ目の前が「古宮跡」。香椎宮起源の地で「こぐう」じゃなくて「ふるみや」と読むんだ。
いち:ここ、ちょっといい雰囲気でしょう?
さわ:本当ですね。木々に覆われていて、なんだかパワースポットっぽい感じ。わたし、こういうところ大好きです。わっ、古い木の掲示板。「仲哀天皇・訶志比宮跡(かしひのみやあと)」って書いてある。こんな字を書くんだ。
いち:いわゆる万葉仮名だよね。『古事記』が編纂されたころには、まだ仮名文字は発明されていないから、こういう漢字だけの表記になっているんです。後世の人には解読自体が難しかったでしょうね。本居宣長が四十四巻に及ぶ『古事記伝』を著した意義は、そういうところにもあったのだと思います。これは『万葉集』の場合も同様で、江戸時代の国学者・賀茂真淵から明治時代の折口信夫や佐々木信綱、最近では白川静など、延々と解読・解釈が行われていますが、まだよくわからない部分も多いようです。
さわ:わたしたちが『万葉集』や『古事記』を読めるのは、そういう先人たちの努力があってのことなんですね。どっちもちゃんと読んだことはないけど。
いち:掲示板に書いてあるように、仲哀天皇が筑紫の地に訶志比宮の造営したのは西暦199年で、翌年に天皇は亡くなります。その死を悼んで、神功皇后が綾杉を植えるという展開になるわけです。
さわ:あっ、この掲示板には「三韓征伐」って書いてある。でも「仲哀天皇の大偉業」とあって、その一端が神功皇后の三韓征伐である」って、どういうことなんでしょう?
いち:このあたりは微妙なんですけど、仲哀天皇の奥さんの神功皇后が神懸かりの人で、あるとき「新羅を服属させて授けよう」という神様のお告げがあった。でも仲哀天皇は新羅に出兵しなかったんです。つまり神託を信じなかったわけですね。それで神罰を受けて仲哀天皇は死んでしまう。神罰だからお祓いを済ませて、神功皇后が亡き夫にかわって新羅に出兵するという流れです。
さわ:なんかジャンヌ・ダルクみたいな人ですね、神功皇后って。
いち:このエピソードが面白いのは、天皇の后妃にあたる女性が神託を受けて、そのお告げは絶対的で、天皇でさえも逆らえないという構造になっていることです。こういうところを見ると、天皇制は巫女的な要素が強い政治システムだということがわかります。女系的と言ってもいいかもしれない。
さわ:古代の女性は神様に近い存在だったんですね。
いち:いまでも口寄せをする東北地方のイタコは女性ですよね。琉球神道で祭祀を司るノロも女性。
さわ:天皇制と関係あるんでしょうか?
いち:わかりません。たぶん天皇制は、そういうシャーマニズムみたいなものと関係が深いってことだと思います。でもちゃんと勉強していないので、深入りは避けよう。それよりも仲哀天皇との関係で触れておきたいことがあります。神託に背いた仲哀天皇は天皇の資格なしということで殺されてしまいますが、かわって生まれたのが後の応神天皇です。これは武内宿禰がそういう神託を聞くことになっています。「この国はいま皇后の腹のなかにいる子どもが領有支配することになるだろう」って。神託どおり生まれたのは男の子で、その出生の地が粕屋郡の宇美です。つまり御子の生まれた地、「生み」というわけですね。一種の地名伝説です。
さわ:面白い!
木立のなかで
いち:そこの石段に腰を下ろして少し休んでいきましょうか。木漏れ日がとても気持ちいいですね。
さわ:ほんと、なんか癒されます。
いち:さわさんは旅行がお好きですよね。これまで行かれたところで、いちばんよかったのはどこですか?
さわ:ええっ? 難しいなあ。国内ですか国外ですか?
いち:どっちでもいいですけど、まず国内からいきましょうか。
さわ:何年か前の年末年始に北海道へ行ったんです。道東っていうんですけど、納沙布岬(さっぷみさき)とか野付半島とか。
いち:根室のほうですよね。
さわ:午後3時過ぎに雪が降りだして、鹿の鳴き声が聞こえて。目の前には暗い海があって。本当に素敵なところでした。すっかり気に入ってしまって、つぎは9月の終わりに行ったんです。このときは釧路湿原で、そこも素晴らしかったな。突然、カヌーに乗ったおじさんが現れて、オホーツクの話をしてくれたり。朝の湿原って神秘的で、もうずっといたいって感じでした。
いち:なるほど。ぼくは冬に北海道は行ったことないんですけど、星野道夫さんの本を愛読しているので、なんとなく雰囲気はわかります。
さわ:あと沖縄も好きだな。もうずいぶん前ですけど、生協の月刊誌の仕事をしていて、九州・沖縄がエリアだったので、月に一回、沖縄へ行っていた時期があるんです。その出張は楽しみでした。
いち:どういうところに惹かれたんですか?
さわ:いろいろあります。ニライカナイとか……海の向こうに楽園があるっていう。そういう伝統文化にも惹かれたし、取材ではフォトグラファーが同行したんですが、この人は水中カメラマンでもあって、簡単なシュノーケリングを教わったんです。沖縄の海って本当にきれいで、ナポレオンフィッシュが泳いでいたり、ウミガメがいたり。海の底が森みたいなんです。あとお料理も好きだな。
いち:どんな料理が好きですか?
さわ:いろいろあります。ソーキそばも好きだし、てちびってご存じですか?
いち:豚足の煮つけでしょう? あれ好きなの?
さわ:好きなんですよ。
いち:そうか、さわさんお酒飲むもんね。沖縄だとやっぱり泡盛ですか?
さわ:夕暮れのビーチでピーナッツ食べながら飲むんです。もう最高! おじいちゃんが海辺で三線弾いてたりね。
いち:沖縄ではなんか音楽が身近で、お年寄りが何気なく三線弾いて歌っていたりするんだよね。黒人のブルースに近いものがあるのかもしれない。海外では?
さわ:これもたくさんあるけど、いますっと浮かぶのはフィンランド。最初は真夏で、7月の白夜の時期に行ったんです。一週間くらい湖のほとりのコテージに泊まって、もちろんレストランとかないからワインを持ち込んで、自分でお料理をして。白夜といっても一日に2、3時間は薄暗くなるんです。そしたらロシア人のおばさんたちが湖に飛び込んで……。
いち:海水浴なの?
さわ:海水じゃないけど、まあ水浴びですね。フィンランドにももう一度行きました。二回目は11月の極夜の時期。一日中薄明って感じで、暖炉の前で読書をしたりとか。
いち:行きたいなあ、海外。
さわ:行きたいですね。
不老水
いち:じゃあ不老水に向かいましょう。
さわ:遠いんですか?
いち:古宮から5分くらいだと思います。このあたり、すっかり住宅地になっちゃいましたね。
さわ:昔は?
いち:うちの子どもたちが保育園のころだから、もう30年以上前だけど、「秋を見つけに行こう!」とか言って、家族でときどき来ていたんです。そのころは田んぼや畑がたくさん残っていて、まわりは雑木林や野原で、いまとは全然違う風景でした。
さわ:ずいぶん変わっちゃったんですね。
いち:ほら、掲示板がありますよ。
さわ:ほんとだ。「この地は、3世紀ごろ、神功皇后の新羅遠征で功績のあった武内宿禰が、香椎在陣中に居住したと伝えられています。近くに沸く不老水は、300歳まで生きたと伝えられる宿禰の長寿にちなんで、香椎宮の綾杉の葉とともに皇室に献上されていました」ですって。
いち:さあ着きました。そこの小屋のなかに井戸がありますよ。
さわ:ペットボトルを持った人が水を汲みにきていますね。
いち:コーヒーとか淹れるとおいしそうだな。
さわ:ちょっと中を見てみよう。ちゃんと蓋がしてあるんだ。
いち:思ったより水がある。ひところは水が涸れて、底の石が見えたりしていたもんですよ。
さわ:武内宿禰が掘った井戸ってことは、ずいぶん古いですね。
いち:仲哀天皇の時代から数えると1800年くらい湧きつづけていることになるけど、宿禰が仕えたとされる五天皇のうち、第16代の仁徳はともかく、第12代の景行から第15代の応神までは実在性が乏しいから、武内宿禰にかんしてもよくわかんないですよね。
さわ:伝説の人物ってことになりますか?
いち:その可能性が高いけど、ただこの分野では、あとから重要な資料が発見されたりするので、確定的なことは言えないんですよ。先にもちょっと触れた『古事記』は、太安万侶(おおのやすまろ)という人が天武天皇(第40代)の命を受けて編纂し、元明天皇(第43代)に献上したことになっています。そのことが記された「記序」には、「和銅5年(712年)正月28日」という年月日が見えるのですが、「記序」の信憑性をめぐっては、後世につくられた偽書であるという説が根強くあって、安万呂の実在性を疑う論者も少なくなかったんです。ところが1979年に安万呂の墓所と墓誌が発見されて、「従四位下勲五等太朝臣安萬呂」と記した銅板が出てきた。それで安万呂が実在の人物であったことがはっきりしたんですね。こういう発見が将来、武内宿禰にかんしてもあるかもしれない。
さわ:古代史って現在進行形!
いち:というところで、おあとがよろしいようで。
いち:片山恭一
小説家。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。2001年4月に出版された「世界の中心で、愛をさけぶ」が若者から圧倒的な支持を得、文芸書としては異例のロングセラーとなる。
さわ:丸山砂和
編集者・コピーライター。
趣味は海外の旅。1年に数回、思いついたところにふらりと出かける無計画な旅によるさまざまな失敗を重ねてもなお、旅熱は冷めやらず。